フィリピン人を日本で雇用するメリット
フィリピン人材を雇用する際の大きなメリットは、やはり社交性と英語能力の高い人材を確保できることです。日本企業のグローバル化が世界の先進国から遅れをとっている大きな要因のひとつとして、英語でのコミュニケーションにおけるハードルの高さが挙げられます。今後、グローバル化の加速が予測される中で、公用語として英語を話すことのできるフィリピン人を雇用することで、海外の企業との架け橋としての役割を担ってくれるかもしれません。
言語
国語はフィリピン語、公用語はフィリピン語と英語であるが、母語として使われる言語は合計172に及ぶ!タガログ語と英語が合わさったタグリッシュがある。
基本的な簡単な言葉編
⚫ Salamat. (サラマット):ありがとう。
⚫ Masarap. (マサラップ):おいしい。
⚫ Gutom na ako(グトム ナ アコ):お腹すいた。
⚫ Busog na ako(ブソッグ ナ アコ):お腹いっぱいです。
⚫ Gusto ko ng ~ : ~が好き。- Gusto ko ng Jollibee.「ジョリビーが好き。」
返事編
⚫ Talaga(タラガ)?:本当に?
⚫ Meron(メロン):あります(います)
⚫ Wala(ワラ):ありません(いません)
⚫ Sige(シゲ):OK/じゃさよなら
人口
人口密度(2009年)
1960年の人口は、27,087,685人。
1980年の人口は、48,098,460人。
2005年の人口は、87,857,473人。
2010年の人口は92,337,852人。
2015年の人口は100,981,437人と人口爆発が続いている。
2014年7月27日に、公式に1億人を突破したと発表した。国連等の推計では、
2030年には1億1千万人、2040年には1億2千万人、2050年には1億2千7百万人になるとされる。
気候
フィリピンの気候は熱帯海洋性で、1年の大半は暑く湿度が高い。季節は夏と秋のみで、3月下旬から10月上旬が猛暑日の夏で10月下旬から3月上旬が涼しく乾燥している秋とされている。3月から5月は初夏、6月から10月は雨期の季節になる。
夏には復活祭があり、秋にはクリスマスやハロウィンあるいは新年のイベントを祝っている。南西からと北東からの季節風がある。気温は21 ℃から32 ℃で、1月が最も低く、5月が最も高い。台風の通り道にあたり、7月から10月にかけて付近を通過する台風が多く、年間では平均19回通過する。
フィリピンのはるか東の西太平洋海上で6月から12月にかけて熱帯低気圧が多く発生し、西に進み、一部は台風にまで発達して、フィリピンやインドシナ半島に進むものがある。
なお、季節風の影響を受ける地域ながら、海に囲まれているために、冬季に卓越する北西からの季節風も、夏季に卓越する南西からの季節風も、いずれも降雨をもたらす。ただし、先述の台風の影響もあって、特に5月から11月にかけて多雨となる。なお、年間降水量は東部海岸山岳地帯で最大5000 mmに達することがある。
民族
人口が1億人を超えたフィリピンはマレー系を始めとする多民族国家である。タガログ族・ビサヤ族・セブアノ族・ヒリガイノン族・ワライ族・イロカノ族・ビコラノ族・カパンパンガ族・パンガシナン族・モロ族・・・・など。
もくじ
フィリピン人
現在ではフィリピン人とは、当たり前のことであるが、フィリピンに生まれ育った土着の人々の名称である。このような考え方は19世紀半ば以降に意識され始め現在に至っている。かつては、スペイン本国生まれのスペイン人と区別して、フィリピン諸島生まれのスペイン人を指して用いられた。彼らをフィリピーノあるいはクリオーリョ、そして、土着の人々をインディオといった。また、スペイン人や中国人の移住者の男性と現地の女性との間に生まれた子どもはメスティーソと呼ばれた。この背景には、インディオやメスティーソのなかの富裕層の子弟たちが、スペインの圧政に耐え兼ね、改革や自治を求めた様々な運動があったことが考えられる。
タガログ族
フィリピンの主要民族はタガログ族であり、ルソン島のリサール州・ラグナ州・タルラック州・ブラカン州・バターン州などに住む。タガログ語は他のフィリピン諸語と同じく、オーストロネシア語に属する。これを母語とする者は2500万人以上と推計される。16世紀後半から約300年にわたるスペイン人の支配により、タガログ族の80%以上がカトリック教徒となっている。大半が木やニッパヤシでつくった小さな高床式の家屋に住み、水稲耕作を主とする農業を営んでいるが、主要な換金作物はサトウキビとココナッツである。
19世紀から20世紀初頭にかけて起こった白人(スペイン人、アメリカ人)と日本人の植民地支配に対する革命運動で、最も重要な役割を演じた民族でもある。そのため、フィリピン国民の主要な英雄や、独立後の政府の指導者多く輩出している。
ルソン島にはその他にもイロカノ族(人口約810万人)、ビコラノ族(人口約540万人。ビゴール語を話す)カパンパンガ族(約人口300万人)、パンガシナン族(約人口110万人、但し、イロカノ族との混血が進んでいる)など、他にも多数の中小部族を抱えている。
ビサヤ族
続く主要民族はビサヤ諸島(セブ島、パナイ島、レイテ島、サマール島)を中心として、ルソン島からミンダナオ北部にかけて居住する新マレー系住民のビサヤ族である。オーストロネシア語族に属するビサヤ諸語を話し、人口は2000万を超えると推定されるが、政治的に、社会的地位は、タガログ族が圧倒的優位を占めている。
但し、一言にビサヤ族と言えど、実際には多数の部族が存在している。ビサヤ族の最大の部族はセブアノ族であり、セブアノ語を話し、セブ、シキホール、ボホール島、などの各島に居住し、1200万人の人口を誇る。
2番目の人口を有するヒリガイノン族の人口は約700万人でありヒリガイノン語を話しパナイ、西ネグロス、南ネグロス、南ミンドロ、などの各島に居住している。3番目にはワライ族であり、人口は約310万人。ワライワライ語を使用し、サマール、東レイテ、ビリランの各島に居住し、おもな生業は水田耕作による水稲栽培であるが、一部は漁労や商業にも従事している。主食は米、魚、野菜、果物である。双系親族、儀礼的親族を有する。
かつてはラオンと呼ぶ至上神を信仰し、アニミズム信仰も盛んであったが、現在はほとんどキリスト教に改宗している。他にも多数の中小部族が存在している。そのため、マニラ中心の中央政府と協調関係を取りながらも、独自の文化、習慣、言語、民族性を保持している州政府が多い。
モロ族
ミンダナオ島などの南部にはイスラム教徒のモロ族(バジャウ族・ヤカン人・タウスグ人・サマル人など)が存在する。
華人
フィリピン華人の大部分は中国福建省南部(特に晋江)の出身である。明・清時代からの古い華人が多く、現地化や混血(メスティーソ)が進んでいる。元大統領コラソン・アキノ大統領も福建華人の子孫であり、フィリピン独立の英雄として知られるホセ・リサールも中国系移民の系譜を持つ。現在でも中国語(福建省南語)を話し、中国の習慣になれている者は100万人程度と推定される。
苦力出身者がほとんどおらず、商業移民が中心となっている。中国系移民の総人口に占める割合は比較的小さいが、2012年6月にフォーブズが発表したフィリピンの富豪上位10位の7割を中国系移民及びその子孫の企業グループが占めているように、経済的成功者も多く、フィリピン社会への影響力は大きい。
フィリピンの華人は、スペイン統治時代に幾度も排斥政策を取られたことから、存続のため、現地社会との融合度が高く、現地人との通婚が進んでおり仏教を捨ててカトリック教会への改宗者も多い。また、フィリピンが反共がを掲げた経緯から、同じく反共を掲げ、西側陣営に属した台湾(中華民国)との関係が深い。フィリピンの華人社会で使われる漢字は、台湾と同じ繁体字である。
メスティーソ
過去数百年で中国系(華人)やスペイン人との混血が進み、混血率は高い。地域によって混血率は違い、スペイン統治時代に重要な軍港であった地域、特にサンボアンガでは、スペイン人との混血率が高い。混血者はラテンアメリカと同様にメスティーソと呼ばれる。外国へ出稼ぎに行く国民が10人に1人はいる出稼ぎ国家で、外国で働く労働者が多いため、その他の混血の人も多い。その中でも、日本人・アメリカ人とフィリピン人のハーフが多い。
少数民族
山岳地帯のネグリト、ボントック、イフガオなどがいる。フィリピン各地の山岳地帯や南部のミンダナオ島、スールー諸島、パラワン島の住民は中北部の低地住民とは文化や生活様式を異にしてきた人々を少数民族という。これらの人々は全人口の10%前後であるといわれている。南部に住むムスリムと各地の山岳地帯に住む住民の2つに分けられる。
アメリカは、少数民族を「非キリスト教徒部族民」と名付け、後進的な野蛮人と見なした。これらの少数民族からも国会議員や地方議員が出ているが、彼らは地域の「ボス」であることが多く、少数民族の利害や権利は政治に反映されなかった。差別の原因を宗教の違いにされたり、無知からくる偏見にさらされた。